遥かなる町、バトゥパハへ行くには(バトゥパハ交通アクセス2023)
はじめに書いておきますが、バトゥパハ(Batu Pahat)、めちゃくちゃ遠いです。特に日本からだと半日では到底たどり着くことができず、ほぼ丸一日を要します。下手したらヘルシンキやバンクーバーあたりの方が実所要時間が短いのではないかと思うほどですが、それでもきっと、バトゥパハはあなたを待っています。
2023年5月現在、バトゥパハへの主な行き方は下記の通り。
① クアラルンプール国際空港(KLIA)から
時間はかかるものの、比較的楽でわかりやすいのがこのルート。日本やアジア各地からクアラルンプールへ飛んできたら、空港からバトゥパハまでは実はバスで一本なのです。2023年5月現在はAirport Coachと、YoYoという2社が空港(KLIA, KLIA2)とバトゥパハを結ぶバスを走らせており、片道だいたい50リンギット(約1,500円程度)で3列シートのそこそこ快適な車両に載せて運んでくれます。予約・購入もオンラインで出来るので、いざ着いたものの満席で乗れないということもありません。注意すべきなのは、距離の割に高速道路を走る区間が短く所要時間が長いこと。スレンバン(Seremban)、ムア(Muar)を経由するため、順調に進んでも4時間、渋滞に巻き込まれると4時間半以上を要することもあります。乗る前に水や、お手洗いの準備は忘れずに。
② クアラルンプール市内から
バトゥパハには鉄道駅が無いため、首都クアラルンプールからもアクセスはバス一択となります。クアラルンプールのバスターミナルはTBSというテレビ局のような名前で、中央駅(KL Sentral)からは空港鉄道KLIA Transitや、LRTなどでもアクセス可能。TBSからは30分~1時間おきに数社がバスを発車させていて、これもオンライン予約サイト(Busonlineticket)などで事前購入可能です。特に週末は混雑して満席!なんてことがしばしばなので、予定が決まったら早めに買っておくことをおすすめします。所要時間は2時間半~3時間、休日は高速道路が混む傾向にあるので、やや時間がかかります。
マレーシアの都市間バス予約サイト Busonlineticket
https://www.busonlineticket.com/
③ シンガポールから
なんだかんだで私もよくやる、シンガポールから/への移動。大まかな流れとしてはまず、チャンギ空港や市内からウッドランズのチェックポイント(国境検査所)へ向かいましょう。だいたい1時間もあれば到着できるはずです。出国後はシンガポールとマレーシア・ジョホールバルを隔てるコーズウェイをバスで渡って、ジョホールバルのチェックポイントでマレーシアに入国したら、そこからさらにバスで(シンガポールから直通もあります)ラーキンバスターミナル(Larkin Sentral)へ15分ほど。あとはバトゥパハ行きのバスに乗るだけ!ラーキンからは概ね2時間~2時間半でバトゥパハに到着しますし、本数も結構あります。ラーキンのバスターミナルは外国人でも入りやすいファストフード店もいくつかあって、待ち時間もそれほど苦にはならないはず。
だがしかし、このルートは運とタイミングに思いっきり左右されることに注意が必要です。チェックポイントが空いているときは片方のイミグレに着いてから、もう一方のイミグレを抜けるまで二国間のバス移動含めて30~40分で済んでしまうけれど、週末の混雑時には特にマレーシア側が地獄と化し、抜けるだけで2,3時間コースということもあります。特に気を付けたいのが金曜日や日曜日。ジョホールバルのイミグレは結構大きな施設なのですが、あまりにのんびりとしたマレーシア入出国審査と、どんどんやってきてホールを埋め尽くす旅客とで阿鼻叫喚なんてこともあります。星馬国境越えをする際は、くれぐれも時間には余裕を持って。。。
星馬国境越えについて大変参考になる「のうやくん @yamidoh 」の記事
④ マラッカから
押しも押されもせぬ世界遺産都市、マラッカ。実はバトゥパハから意外と近いのです。マラッカのバスターミナルは旧市街から少し離れたところ(Melaka Sentral)にあるのですが、そこからバトゥパハへはムア(Muar)経由で約2時間。全区間一般道を走るのですが、そこまでひどい渋滞に巻き込まれることはなく、遅くても2時間半でバトゥパハに着けます。荷物が少なければ、途中のMuarで降りて散歩してもよいし、何より到着直前、茶色く淀んだバトゥパハ河を渡って市内に入るところに旅情があって私は好きです。バスの本数はそこまで多くないので、これも予約を忘れずに。
この他にも、エアアジアがホーチミンやバンコク・ドンムアン線を飛ばしているジョホールバル空港から向かうルートや、マレー鉄道に乗ってクルアンからのんびり路線バスに揺られるルートなど、遠いだけあってバトゥパハへの道は多種多様な選択が可能です。どうやっても時間はかかるので、むしろその移動時間を楽しむくらいの気持ちが大切かもしれません。
七月一日、キエフ、香港。
香港に来て何度目かの七月一日。
遊行/示威/デモのない三度目の七月一日。
オデッサから寝台列車に乗って一晩、香港から4ヶ月続けてきた旅の最後の目的地、北緯50度のキエフは夏の空で、北緯22度の香港とは違う青さだった。
いままさに戦火の中にあるウクライナ、そしてキエフ(キーウ)の名は毎日のように新聞やテレビに流れているけれど、昨年の7月当時、私の中でキエフは「凛冬烈火/Winter on Fire」の土地だった。
あてのない旅の終わり、日本に戻るチケットの出発地はキエフでなくてもよかったのだけど(ザグレブ案もあった)、2019年夏、天后の路上で見た「凛冬烈火」に出てくるキエフの広場になんとなく行ってみたかったのが、この街を選んだ理由だった。
7月1日、キエフの中心にある独立広場(マイダン広場)は思っていたよりごちゃごちゃとしていて、この旅で訪れたあちこちの、文字通り広々とした「広場」とは少し雰囲気が異なっていた。
広場を囲うように立派な建物が並び、中央には、青い空を突くように立つ独立記念塔。人通りも、車通りも多いれど、地下にはモールがあったり、思っていたより狭かったりしていた。
昨年の夏はごくごく平和であったこの広場は、「マイダン革命」の舞台となった場所だ。2014年、まだ10年も経っていない手に届きそうな場所にある「歴史」が、広場のあちこちに地図、写真、説明とともに掲示されている。
「凛冬烈火/Winter on Fire」を天后で見たのはもちろん、2019年の一連の出来事によるからに他ならない。2019年の(2019年だけでなく、2014年からの)出来事から香港が辿ったやるせない道のりを目にしてきた身には、ここで亡くなった人たちのことを想うとともに、今こうやってその歴史をきちんと(語る側のバイアスがかかりうるものであるとはいえ)掲示できるということに少しだけ羨ましさであったり、くやしさであったりを感じていた。
私が香港に来たのは2013年の秋、そして香港で初めて七月一日を迎えたのは2014年だった。
2014年の軒尼詩道は、香港を暮らす立場から考える出来事がたくさんあった場所だった。
時は巡って2019年の七月一日、私は毎年恒例の玉井のマンゴーを食べに台南にいた。本当はその日の夜に高雄からマカオ経由で香港に戻るはずだったけれど、朝から次々と入ってくるニュースに居ても立っても居られずに、夕方の桃園から香港へのチケットを買って、香港島へ渡った。私に何か出来ることがあるわけではなかったけれど、そこに行かなければならない気がしていた。
2022年、七月一日。街に流れる空気と、押し付けがましい「慶祝」の文字との温度差が巻き起こしたかのような台風が香港にやってきた。
香港の七月一日は、変わってしまった。
いとしき場所、好きな場所をあらためて想う - 小野寺光子さんの「香港 香港。」展
一年半ぶりに帰国し、禊を済ませて娑婆に出てから早一ヶ月。ようやく日本に慣れてきたところで、小野寺光子さんの個展「香港 香港。」に行ってきました。
さまざまな事情により往来が難しい時期が続いていて、日本を拠点にして香港に足を運んでいた人だともう二年近く香港から遠ざっていることも珍しくない今。私も香港を離れてあちこちふらふらしているうちに半年弱が経ってしまい、香港へ戻るタイミングも、意味も意欲も見失っています。
あれだけ長くズルズルと居座ってたのに、物理的心理的に距離を取っているうちに少しずつ自分の身体から香港の記憶が抜け落ちてきてしまったような気がする中で、「香港 香港。」展はただ単に"好きなイラストレーターの方が描いた絵を見る"、というだけではなくて、作品に囲まれ眺めているだけで自分自身の「香港の感覚」がじわじわと湧き上がってきては、言葉や形にできない香港への想いになって頭から身体までめぐるような場所であり時間でした。
香港から離れているはずの自分がいま、深水埗の肉屋や街市のストールの目の前に立っている、あるいは手を伸ばせばプラスチックのお椀から粥をすすれるような気になってしまうほど没入感のある大きな絵。ひとつひとつがどこまでも繊細に、緻密に描かれているのに、描かれた小野寺さんご本人のお人柄までにじみ出て来るようなユーモラスさと美味しそうさ(喉から手が出るほど西多士が食べたくなりました…)を感じずにはいられない作品群。
香港の見慣れた、そして愛すべき景色そのものが視覚から絵の世界を飛び越えてやってきて、自分が香港で体験したにおいや音、名前も知らないけれどそこにいるであろう人の声、果ては口にした時の味までが頭の中で再生されるような気分になるのは、それだけご本人の中にある好きな香港の記憶や想いが強いことに見る者が呼応するのかな、なんて思ったり。
後ろ向きにならざるを得ない状況や情報が溢れている中で、好きな場所や人(や猫や食べ物や建物)をこんなにはっきりと、いとおしく表現できることってなんて素敵なんだろうと思いながら、まだまだ続くであろう香港の夏を想い、秋が見えてきそうな東京の夏を噛みしめています。
小野寺光子さん個展「香港 香港。」は8月25日(水)まで、吉祥寺のリベストギャラリー創にて開催されています。素敵な画集やグッズの販売に加えて、ご本人が在廊されていることもあるようですよ!
屋台で育つ ― 深水埗石硤尾街・根記大排檔
路上の大排檔(いわゆる屋台)が限りなく少なくなっている21世紀の香港にあって、中環や大坑と並んで現役の大排檔が気を吐いている深水埗・石硤尾街。
福華街のあたりには「小菜王」や「增輝」、基隆街に少し入ると「強記」、荔枝角道の南側に「愛文生」「天祥」と、日暮れ頃からビールと小菜でワイワイやる大排檔が多いけれど、それとは少し趣を異にするのが愛文生の向かいにある根記大排檔。
香港らしい緑で塗られた屋台が素敵な根記は、中環で生き残っているいくつかの屋台と同様に昼間営業で酒を出さない茶檔系大排檔。看板にも"奶茶" "咖啡"の文字が光る。
日曜はお休み、平日〜土曜日は朝7時頃から夕方4-5時までの営業となると、朝に弱く、月〜金で働いていた(当時)私にはなかなか行きにくい店だったのだけど、ひとりでも気軽に入れる大排檔(小菜の店だとひとりで、酒無しだとちょっとやりづらい)なので土曜日や平日休みの日に気が向くと足を運んでいた。
深水埗の荔枝角道以南から大角咀にかけては自動車や電気機器関係の修理や中古販売、廃品回収、金属関係の工場やら、工業大廈(これはほぼ大角咀)やらが結構多いので、そういうところで働いている人たちの朝食・昼食・下午茶がメインなのだろう。ランチの頃になるとラフな格好をした人たちが軒下に並ぶテーブルへと集ってくる。屋内じゃないから煙草も吸えるしね。
ライセンスや設備の関係もあるからか、メニューは茶餐廳ほどバラエティに富んではいなくて、奶茶・咖啡を中心とした飲品(ドリンク)と三文治(サンドウィッチ)、多士(トースト)、奄列(オムレツ)といった朝食・軽食、それに麺類と、昼の時間帯は午市快餐としてぶっかけ飯系が5-6種類あるのみ。
軒下のシャッターに掲げられた快餐メニューは素人感のあるイラストがかわいい。お値段はめちゃくちゃ安いわけではないけれど、最近九龍の他の街を追いかけつつある深水埗にしてはまだまだ良心的な部類です。
ここは凍熱同價(香港では冷たい飲み物の値段が2-3ドル程度高いことが多い)なのと、外席で暑いのでついつい凍奶茶ばかり頼んでしまうのだけれど、茶檔の熱奶茶はやはり良いものです。とにかく茶の味が強い(濃い)ので、コンデンスミルクたっぷりのコテコテ西多士にも打ち勝てる。
屋台の正面には黑白淡奶の缶とステンレス樽のカップが並んでいて、なんて正しい茶檔なのでしょう。
そして食べ物を調理するのはこの年季が入った、やはり緑が目に優しい火力抜群なコンロ。
近くに座るとゴーッという火の音、鍋を振るう音、そして匂いにバッチリ食欲を刺激されながら出来上がりを待つことになる。快餐の香煎芙蓉蛋飯はシンプルだけど、やはり火力の強さによる鑊氣が良い。この日は立冬なのに32度もあったので、飲み物は凍奶茶少甜で。凍奶茶もやはり茶味が効いている。
親子でやっていると思しき根記。土曜日の昼は若旦那が鍋を振るい、お子さんはその後ろで宿題を広げていたりする。
夜とか週末にお子さんが店で過ごしているのは香港あるあるだけど、自分のテーブルを持っているのはちょっと羨ましい。常連らしいお客さんから教えてもらって(ちょっかいを出されて?)、小さいうちからコミュニケーション能力高そうです。厳しい世の中、厳しい香港だけど、屋台ですくすく育ってくれるといいな。
バウヒニアに郷愁を覚えたら ― 香港の裏側で考えたこと・その1
五年前、香港で最初に働いていた会社を辞めて、少し長めの旅に出た。
スペインやモロッコで2週間くらいぶらぶらして、マドリードからアメリカ経由で南米へ。
はじめての南米、比較的落ち着いているウルグアイで数日を過ごしてから、アルゼンチン・ブエノスアイレスに向かった。
ブエノスアイレスといえば、当時はケチャップ強盗だなんだと治安面で心配も多い場所。チキチキ旅行者の私は緊張しながら船を降りて、船着場からなんとか徒歩圏内の日本人宿まで歩いていったことを今でも覚えている。
そんなブエノスアイレスで宿の近くをおっかなびっくり歩いている時に目に飛び込んできたのが、Restaurante Chino Bauhinia。
バウヒニアといえば、香港の旗や特區區章、そしてコインにも描かれている香港を象徴する花だ。
店内はオリジン弁当みたいなよくあるデリの店で、香港人のスタッフがいるわけではなかった。スペイン語はできないので、どうして店名が「Bauhinia」なのかも聞けず、なんとなく炒飯やら、サラダやらを取って店内で食べたくらい。
そんなに香港を感じさせるメニューでも、味でもなかったように思うけれど、それでも香港から一番遠い国のひとつでバウヒニアを目にするだけで、なんとなく心が落ち着くような、そんな気がした。
南米に行った2016年夏当時はまだ香港に住み始めて3年弱くらいだったけれど、既に私の中で香港は、祖国とも、異国とも違う特別な感情を持つ場所になっていたように思う。
ふと目にしたバウヒニアに郷愁を感じるほどには。
シャンパンも、星の名前もロクに知らないのに ― 尖沙咀・星座冰室
シンデレラだって24時まで踊っていられるのに、香港では18時以降店で飯が食えない。
香港の18時、この季節でもまだ明るいのに。
「防疫対策」の名の下にあれこれ市民生活が制限されること早一年近く。模範的香港居民として日々マスクをつけ、Lazy Lionを見習い適度な運動と栄養バランスに気をつけた食生活を送っているけれど、しかし「晩市堂食禁止」が2ヶ月も続くってのは一体どういうことなんでしょうか。
今日は歯医者があったので珍しく明るいうちに島を出て、天星小輪で尖沙咀に着いたのが17時過ぎ。天星碼頭から重慶大廈に寄って、両替屋の為替レートをチェックして外貨を買って、なんてことをやっているとすぐ17時半近くなってしまう。
去年までだったら何にも気にする事なく、MTRや九巴に乗って弼街を目指すなり、そのままぶらぶらと彌敦道を北上して加價三昧な美都を物色するなり如何様にもできたけど、晩市堂食禁止の今はとにかく「17時30分までに店に入らなきゃ!何か食わなきゃ!」という気持ちにならざるを得ない。せっかくの平日夕刻自由時間。「14時近くに昼飯食ったんだから後ででいいだろ!」という声など存在しないのである。
しかしここは尖沙咀、ほぼ毎日通る割に私にはアウェーな街。海防道臨時熟食小販市場は朝向きだし、重慶でカレーを食べるほどお腹は空いてない。かといってそこらのチェーン店や、高いカフェに入るのも性に合わないし…
そんなことを瞬間的に頭の中で考えているうちに、パッと思い浮かんだのは空の星、もとい星座冰室。有名店の割に一度しか行ったことないし、お店が入る「香檳大廈 Champagne Court」も再開発の話があって、いつまであるかわからない。そう思ったが最後、急いで金巴利道へ向かう。
香檳大廈、1957年築。
みんな大好き重慶大廈よりちょっと早く、出来た当時は九龍で一番高い建物だったらしい。中に入るのはこれが二度目だけど、前回19年夏に入った時はエレベーターの渋さに感動した記憶がある。
香檳大廈はもう一つの顔があって、どうも昔は(今も?)風俗店が沢山入っていたらしい。かつて亞洲國際都會でブイブイ言わせていた不貞日本人が大挙して押し掛けてきていたようで、その名残のような注意書きも掲げられていた。
清純派で知られる私は戸惑いながらも、地下の星座冰室へ急ぐ。時刻はこの時17時28分、あと30分ちょっとで客は店を出なければならないし、店によっては17時半を最後落單(ラストオーダー)時間にしているところもあるのだ。
なんともいえない気分になる階段を降りていくと…
現れる星座冰室。よかった、まだやってる。二組くらいしか客がいないガラガラな店内、落ち着けそうな角の席に着くなり、急いでメニューに目を落として西多士と熱奶茶を頼む。
静かな店内、誰も見ていないテレビから流れるTVBと、たまに笑い出すカップルの声くらいしか響かない地下冰室。
前回来た時は彌敦道を南下するデモの日だった。夏の週末、店内はそれなりの人で賑わっていて、テレビではすぐそこの尖沙咀彌敦道の状況をTVBが垂れ流していた。
「馳名蕃茄麵(名物トマト麺)」のためにカゴいっぱいに積まれたトマト。
なかなかの見た目で笑い合って食べたトマト麺。一緒に駄弁ったNくんももう香港にはいない。
ノスタルジックという言葉じゃ済ませられないなんともいえない鄙びた店内にいると、つい昔のことばかり思い出してしまう。あの時は3人でも4人でもテーブルを囲めたなとか、あの夏は良くも悪くも幾らでも声を上げる事ができたのに、とか。
暇そうにしていた師傅がちゃちゃちゃっと手を動かして、すぐに熱奶茶、少し遅れて西多士が出てきた。「茶餐廳が好きです!」「我こそは冰室マスター!」みたいな建て付けでいるくせに、物を知らない私はいつも同じようなメニューばかり頼んでしまう。たまに豪華な店やビジネスクラスに乗ったって、シャンパンがなんなのかもよくわからず、ジュースを頼んでしまうようなレベルだから。
バターとシロップで途方もないカロリーとなった西多士を頬張りながら上に目を遣ると、値上げの跡が隠せていない手書きメニューと、夏が来るのを待つ扇風機。星座冰室が入る香檳大廈がオークションにかけられた、なんてニュースがあったのが去年なので、この扇風機が活躍する夏もたぶんもう何度と無いのかもしれない。
【告別香檳大廈】尖沙咀香檳大廈強拍 半世紀光影終將定格 -社會- 明周文化
我ながら趣味が悪いな、と思った。
ネットには廃止が決まるやいなや列車や路線を撮りに一目散で駆け付ける「葬式鉄」なんて言葉があるけど、私がやってることもそれとあんまり変わらないんじゃないか。古い店、店主の高齢化や再開発でいずれ無くなっていく店に通って、食べて、下手くそな写真を撮って、それが何になるんだろうか。星付きレストランでも、インスタ映えメニューでも、「打卡熱點」でも巡った方がよっぽど前向きなんじゃないか。
そんなことばかりぐるぐる押し寄せてくる頭の中で、映画「十年」の二話目が思い浮かぶ。私は標本を作りたいんだろうか。
ダウナーな気持ちを増幅させる静かな地下冰室が急にうるさくなる。18時が近づき、お片付けタイムが始まったのだ。師傅も再度忙しそうになり、店のおねーさんは椅子を積み出した。「晩市堂食禁止」のさらなる二週間延長が報じられた日でも、あっけらかんとした表情で。
動き出した店内になんだか救われた気持ちになる。誰かのためにコレクションしているわけでなく、このあっけらかんとした茶餐廳や冰室の雰囲気が好きなだけなんだから趣味が悪くたっていいじゃないか、そんな免罪符が急に降ってきたような気になって、埋單を済ます。
香檳大廈、星座冰室がある地下の一番突き当たりには、いつのものだかわからない「富士山」の温度計が今も掛けられ続けていた。
アイコンとしての茶餐廳 ― 福建省泉州・昌發茶冰廳
自慢じゃないけど私には「茶餐廳を引き寄せる力」がある気がしている。ほんとはもっと人間力とか、知力体力時の運とか、財力とかが欲しかったけど、まあ何事も無いよりはあった方がいいですからね…
世は茶餐廳戦国時代。様々な事情により当地を離れた香港人がそうさせるのか、はたまたコロナ禍により気軽に香港に行けなく/帰れなくなった人の要望と食欲によるものなのか、日本でもあちこちに茶餐廳や「(ちゃんとした広東料理とは違う)香港料理」店が出来てきている模様らしい。Twitterを開けばやれ生麦だ、綱島だとまるで旺角や屯門藍地のような茶餐廳が目に飛び込んでくる今日この頃、これで永久帰国の日が来ても安心です…
茶餐廳が香港を象徴するアイコンの一つであり、パスタを出すイタリアンやバインミーのあるベトナム料理店、パッタイが看板のタイ料理店のように「街に一件はあって気軽に行ける店」になりつつあるのは日本だけではなく、中国大陸も同様なのかもしれない。上海とかの大都市だけではなく、昨年末に行った華僑の郷、福建省泉州市でさえ、街を歩けばいくつもの(そう、ひとつじゃないのよ!)茶餐廳があるんだから驚かされた。
とはいえここは泉州。
香港からの移民が多いシドニーとかメルボルン、NZオークランドとかでは率先して茶餐廳めぐりをしているわたくしだけど、さすがに美味いものが沢山ある泉州に行ってまで茶餐廳でメシを食おうという気持ちはさらさらなかったのである。金曜夜からの週末弾丸、貴重な食事の機会は福建メシに充てて、日曜夜に香港戻ったら金華冰廳行こうと思っていた(そして実際空港から金華直行した)。
だがしかし、泉州まで来て引き寄せる力を発揮してしまったのである。これは嘘偽り無くほんとにたまたま、全くの事前調査も情報もなかったのだけれど、泊まったホテルから歩いて2,3分のところで通りがかりに見つけたのがこれ。
最近ありがちな「冰室」でも、定番「茶餐廳」でもなく、「茶冰廳」を名乗っている…。香港でも茶冰廳は数少ないのに、これはデキるやつの仕業だ…
このとき時刻は土曜の夕方、さすがに泉州に着いてすぐこの店に入って胃袋を終わらせてどうするんだという理性が働き、この日は满煎糕だ、卤面だ、四果湯だと食べ歩きに終始し、なんとか茶冰廳の罠から逃れたのであります。メシが美味い土地は最高!
し・か・し…
移動疲れもあってか、ホテルで昼前まで寝て過ごしてしまった翌日。せっかく付いていた朝食を食べる機会を逸し、外に出たら出たで寒いし雨降ってるし腹減ったし、とりあえず何か食べなきゃと歩き出した先に飛び込んできたのがやっぱりこの店。字体がやや気になるものの、いい名前してますね!
ええい、ままよ!と勢いよく中に入ってみると、並ぶパイプ椅子と奥に輝く「高朋滿座」。そしてなかなか再現度の高い卡位。タイル風の壁紙に「凍飲加2蚊」とか、いちいち凝っている。
メニューも茶餐廳の、卡位のあるべき形に沿って、テーブルに貼られたガラスの下にあるスタイル。「麵」が「面」なこと(しかし手書きメニューとかだと香港でもよく目にする)を除けばほぼ完璧すぎて、香港の下手なエセ冰室よりよっぽど茶餐廳茶餐廳しているのではないか…。選べるスープも羅宋湯か忌廉湯だし、相当研究されている。
店内の一角に設けられた「餅店」コーナーはちょっと微妙ではあるけれど。
意外すぎるほどに忠実に茶餐廳をなぞっていることに軽く感動してしまい、いっそ乾炒牛河でもガッツリ頼んでやりたくなりましたが、この後いとしの蚵仔煎が控えているので大人しく西多士に。飲み物は怖いものみたさの熱奶茶で。
オーダーし終えると、レシートとともにtempoのようなティッシュが…
やだ!なにこれかわいいじゃない!
香港の冰室、冰廳、茶冰廳にもマネしてもらいたいくらいかわいいギミックにテンション爆上がり。なんかもう、香港のアイコンをこれでもかと盛り込んでいて感心するしかないのである。
そうこうしているうちにメインがやってきた。
絲襪奶茶、13蚊。黑白淡奶カップではなく、B級C級の茶餐廳に多い金茶王カップなのがシブくてかえって良い感じ。
粒粒西多士。普通の西多士ではなくサイコロサイズな粒粒なのは海安咖啡室にインスパイアされたのか。
いずれにしても、店内だけでなく食べ物飲み物の見た目までそれっぽく、泉州にいる気が全くしない。香港人がオーナーなのか、香港在住歴のある人がやっているのか定かではないけど、突っ込みどころがあまりにも少ない…
(なお、香港外の茶餐廳で港式奶茶の味については評論いたしません。西多士は香港外としては60点って感じ。)
洗手間ついでに2階に上がってみたけれど、「樓上雅座」もなかなかどうして素敵…。ただそのパイプ椅子はどうにかならなかったのか。
2階のキッチンカウンターは「餅店」ではなく「大排檔」になっている…。
うーん、あまりにも出来すぎていて出来杉くんもびっくりである。
福建省泉州という決して大都会とも、洗練された都市とも言えない(魅力はたくさんある)ところにしては、驚くほど現代香港のアイコンを忠実に再現していて、その芸の細かさに語る言葉すら無くなってしまいそうになる。
ただ、ここにはシドニーやメルボルン・ボックスヒルの茶餐廳のような「これが俺の食いたい物なんだ!」という切実な顔した客のおっさんはいないし、ぶっきらぼうだったり声がやたらとデカかったりする店員もいない。
客も店員もお洒落でイカした今風の若者で、みんなとっても優等生。好麻煩な私にはそれがどこか物足りなくて、狐につままれたような顔をして店を出るしかなかったのである。茶餐廳は一日にして成らず、アイコンをなぞるだけでできあがるわけじゃないのかもなあなんてブツクサ呟きながら…
(茶餐廳文化が世界に広がる事はきっといいことよね!ね!)