茶餐廳バカ一代

熱奶茶と菠蘿油から始まる、めくるめく茶餐廳の世界と旅の話。

七月一日、キエフ、香港。

香港に来て何度目かの七月一日。

遊行/示威/デモのない三度目の七月一日。

 

去年の7月1日はウクライナキエフにいた。

オデッサから寝台列車に乗って一晩、香港から4ヶ月続けてきた旅の最後の目的地、北緯50度のキエフは夏の空で、北緯22度の香港とは違う青さだった。

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いままさに戦火の中にあるウクライナ、そしてキエフ(キーウ)の名は毎日のように新聞やテレビに流れているけれど、昨年の7月当時、私の中でキエフは「凛冬烈火/Winter on Fire」の土地だった。

あてのない旅の終わり、日本に戻るチケットの出発地はキエフでなくてもよかったのだけど(ザグレブ案もあった)、2019年夏、天后の路上で見た「凛冬烈火」に出てくるキエフの広場になんとなく行ってみたかったのが、この街を選んだ理由だった。

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7月1日、キエフの中心にある独立広場(マイダン広場)は思っていたよりごちゃごちゃとしていて、この旅で訪れたあちこちの、文字通り広々とした「広場」とは少し雰囲気が異なっていた。

広場を囲うように立派な建物が並び、中央には、青い空を突くように立つ独立記念塔。人通りも、車通りも多いれど、地下にはモールがあったり、思っていたより狭かったりしていた。

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昨年の夏はごくごく平和であったこの広場は、「マイダン革命」の舞台となった場所だ。2014年、まだ10年も経っていない手に届きそうな場所にある「歴史」が、広場のあちこちに地図、写真、説明とともに掲示されている。
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「凛冬烈火/Winter on Fire」を天后で見たのはもちろん、2019年の一連の出来事によるからに他ならない。2019年の(2019年だけでなく、2014年からの)出来事から香港が辿ったやるせない道のりを目にしてきた身には、ここで亡くなった人たちのことを想うとともに、今こうやってその歴史をきちんと(語る側のバイアスがかかりうるものであるとはいえ)掲示できるということに少しだけ羨ましさであったり、くやしさであったりを感じていた。

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私が香港に来たのは2013年の秋、そして香港で初めて七月一日を迎えたのは2014年だった。

2014年の軒尼詩道は、香港を暮らす立場から考える出来事がたくさんあった場所だった。

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時は巡って2019年の七月一日、私は毎年恒例の玉井のマンゴーを食べに台南にいた。本当はその日の夜に高雄からマカオ経由で香港に戻るはずだったけれど、朝から次々と入ってくるニュースに居ても立っても居られずに、夕方の桃園から香港へのチケットを買って、香港島へ渡った。私に何か出来ることがあるわけではなかったけれど、そこに行かなければならない気がしていた。
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2022年、七月一日。街に流れる空気と、押し付けがましい「慶祝」の文字との温度差が巻き起こしたかのような台風が香港にやってきた。

香港の七月一日は、変わってしまった。