茶餐廳バカ一代

熱奶茶と菠蘿油から始まる、めくるめく茶餐廳の世界と旅の話。

シャンパンも、星の名前もロクに知らないのに ― 尖沙咀・星座冰室

シンデレラだって24時まで踊っていられるのに、香港では18時以降店で飯が食えない。

香港の18時、この季節でもまだ明るいのに。

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「防疫対策」の名の下にあれこれ市民生活が制限されること早一年近く。模範的香港居民として日々マスクをつけ、Lazy Lionを見習い適度な運動と栄養バランスに気をつけた食生活を送っているけれど、しかし「晩市堂食禁止」が2ヶ月も続くってのは一体どういうことなんでしょうか。

 

今日は歯医者があったので珍しく明るいうちに島を出て、天星小輪で尖沙咀に着いたのが17時過ぎ。天星碼頭から重慶大廈に寄って、両替屋の為替レートをチェックして外貨を買って、なんてことをやっているとすぐ17時半近くなってしまう。

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去年までだったら何にも気にする事なく、MTRや九巴に乗って弼街を目指すなり、そのままぶらぶらと彌敦道を北上して加價三昧な美都を物色するなり如何様にもできたけど、晩市堂食禁止の今はとにかく「17時30分までに店に入らなきゃ!何か食わなきゃ!」という気持ちにならざるを得ない。せっかくの平日夕刻自由時間。「14時近くに昼飯食ったんだから後ででいいだろ!」という声など存在しないのである。

 

しかしここは尖沙咀、ほぼ毎日通る割に私にはアウェーな街。海防道臨時熟食小販市場は朝向きだし、重慶でカレーを食べるほどお腹は空いてない。かといってそこらのチェーン店や、高いカフェに入るのも性に合わないし…

 

そんなことを瞬間的に頭の中で考えているうちに、パッと思い浮かんだのは空の星、もとい星座冰室。有名店の割に一度しか行ったことないし、お店が入る「香檳大廈 Champagne Court」も再開発の話があって、いつまであるかわからない。そう思ったが最後、急いで金巴利道へ向かう。

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香檳大廈、1957年築。

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みんな大好き重慶大廈よりちょっと早く、出来た当時は九龍で一番高い建物だったらしい。中に入るのはこれが二度目だけど、前回19年夏に入った時はエレベーターの渋さに感動した記憶がある。

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香檳大廈はもう一つの顔があって、どうも昔は(今も?)風俗店が沢山入っていたらしい。かつて亞洲國際都會でブイブイ言わせていた不貞日本人が大挙して押し掛けてきていたようで、その名残のような注意書きも掲げられていた。

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清純派で知られる私は戸惑いながらも、地下の星座冰室へ急ぐ。時刻はこの時17時28分、あと30分ちょっとで客は店を出なければならないし、店によっては17時半を最後落單(ラストオーダー)時間にしているところもあるのだ。

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なんともいえない気分になる階段を降りていくと…

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現れる星座冰室。よかった、まだやってる。二組くらいしか客がいないガラガラな店内、落ち着けそうな角の席に着くなり、急いでメニューに目を落として西多士と熱奶茶を頼む。

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静かな店内、誰も見ていないテレビから流れるTVBと、たまに笑い出すカップルの声くらいしか響かない地下冰室。

 

前回来た時は彌敦道を南下するデモの日だった。夏の週末、店内はそれなりの人で賑わっていて、テレビではすぐそこの尖沙咀彌敦道の状況をTVBが垂れ流していた。

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「馳名蕃茄麵(名物トマト麺)」のためにカゴいっぱいに積まれたトマト。

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なかなかの見た目で笑い合って食べたトマト麺。一緒に駄弁ったNくんももう香港にはいない。

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ノスタルジックという言葉じゃ済ませられないなんともいえない鄙びた店内にいると、つい昔のことばかり思い出してしまう。あの時は3人でも4人でもテーブルを囲めたなとか、あの夏は良くも悪くも幾らでも声を上げる事ができたのに、とか。

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暇そうにしていた師傅がちゃちゃちゃっと手を動かして、すぐに熱奶茶、少し遅れて西多士が出てきた。「茶餐廳が好きです!」「我こそは冰室マスター!」みたいな建て付けでいるくせに、物を知らない私はいつも同じようなメニューばかり頼んでしまう。たまに豪華な店やビジネスクラスに乗ったって、シャンパンがなんなのかもよくわからず、ジュースを頼んでしまうようなレベルだから。

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バターとシロップで途方もないカロリーとなった西多士を頬張りながら上に目を遣ると、値上げの跡が隠せていない手書きメニューと、夏が来るのを待つ扇風機。星座冰室が入る香檳大廈がオークションにかけられた、なんてニュースがあったのが去年なので、この扇風機が活躍する夏もたぶんもう何度と無いのかもしれない。

【告別香檳大廈】尖沙咀香檳大廈強拍 半世紀光影終將定格 -社會- 明周文化

 

我ながら趣味が悪いな、と思った。

ネットには廃止が決まるやいなや列車や路線を撮りに一目散で駆け付ける「葬式鉄」なんて言葉があるけど、私がやってることもそれとあんまり変わらないんじゃないか。古い店、店主の高齢化や再開発でいずれ無くなっていく店に通って、食べて、下手くそな写真を撮って、それが何になるんだろうか。星付きレストランでも、インスタ映えメニューでも、「打卡熱點」でも巡った方がよっぽど前向きなんじゃないか。

 

そんなことばかりぐるぐる押し寄せてくる頭の中で、映画「十年」の二話目が思い浮かぶ。私は標本を作りたいんだろうか。

 

 

ダウナーな気持ちを増幅させる静かな地下冰室が急にうるさくなる。18時が近づき、お片付けタイムが始まったのだ。師傅も再度忙しそうになり、店のおねーさんは椅子を積み出した。「晩市堂食禁止」のさらなる二週間延長が報じられた日でも、あっけらかんとした表情で。

動き出した店内になんだか救われた気持ちになる。誰かのためにコレクションしているわけでなく、このあっけらかんとした茶餐廳や冰室の雰囲気が好きなだけなんだから趣味が悪くたっていいじゃないか、そんな免罪符が急に降ってきたような気になって、埋單を済ます。

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香檳大廈、星座冰室がある地下の一番突き当たりには、いつのものだかわからない「富士山」の温度計が今も掛けられ続けていた。

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